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「人が人を育てる」シンガポール日本人学校で働く小学校教諭が学んだコミュニケーションの魅力|田端真侑氏インタビュー

「旅をしながら働く」「場所に縛られず働く」「旅するように働く」などさまざまな形があるトラベルワーク。当メディアでは、そのようにさまざまな形で仕事に向き合う人の働き方にフィーチャーしていきます。
今回は編集部夏目の友人でもある、在外教育施設派遣教員としてシンガポールの日本人学校で働く、小学校教諭の田端真侑(たばた まゆ)さんにお話を伺いました。

田端真侑さんのプロフィール

小学校の前に立つ女性
現在勤務している日本人学校

ーまずは現在の職業について教えてください。

海外にある日本人学校の教諭として文部科学省よりシンガポールに派遣され、小学生を教えています。正式に言うと在外教育施設派遣教員です。
日本人学校の教員の役割はさまざまありますが、そのひとつとして挙げられるのがご家族の方の海外赴任などさまざまな都合で海外に来ることになった子どもたちが、帰ってから日本のカリキュラムにスムーズに戻れるように繋ぐこと。もちろんシンガポールだからこその授業も行いますが、基本的な教科書などは日本と一緒なんですよ。

ーこれまでのご経歴は?

京都出身で、大学4年間は東京で過ごしました。大学時代はディズニーリゾートやアメリカ大使館でアルバイト・インターンをし、卒業後は京都に戻って小学校の教員に。京都では担任を持って授業をする傍ら、学校全体の外国語主任として1〜6年生の外国語のカリキュラムを組むこともありました。

在職中に文科省の在外教育施設派遣教員に応募し、シンガポールへの派遣が決まって現地の日本人学校へ赴任。任期が終わったらまた京都の小学校に戻る予定です。

学校の先生になった理由・シンガポール派遣の経緯

品川区の景色
4年間住んだ品川区大崎の部屋から見える風景。新幹線が大好きだそう

ー小学校の先生になろうと思ったきっかけは?

もともと両親が教員だったこともあるのですが、人と深く関わる仕事に興味を持っていました。特に教員は「人が人を育てる」という環境の中で、児童、先生方、保護者、地域の方々と一緒に教育ができることが魅力だと思っています。

学生時代から言語、特に英語が好きで大学でも専門的に学んでいました。在学中に小学校で英語が必修となることが決まり、「子どもたちが初めて英語に触れる、スタートの部分に関わりたい」という思いが強くなりました。今の大学では小学校教諭の免許がとれなかったので、別の大学で並行して教育課程を履修したんです。

ーどのようにして日本人学校の先生になったのですか?

英語が好きだったので、いつか絶対に海外の学校に行きたいという気持ちはありました。文科省の在外教育施設派遣教員には応募の規定があり、地域によっても応募できる経験年数が違うのですが、それを待っていた形です。何年か経験も積み、「今かな」というタイミングで立候補し、運良く合格しました。

日本人学校の教諭になるには、私のような文科省からの派遣と、海外子女教育振興財団からの派遣という2パターンがあります。財団の方だと新卒からでも応募できるなど条件も違うので、どうしても日本人学校の先生になりたいんだ!という方は財団派遣も選択肢にいれるといいと思いますよ。

実は、派遣先がシンガポールになるというのは合格時点で初めてわかるんです。派遣先は世界中にあるので、決まってから引っ越しまでがバタバタでした。

シンガポールで気付いた本当のコミュニケーションとは

シンガポールの夜景
シンガポールの夜景!!!

ー最初からシンガポールを志望していたわけではないんですね

さっきお話しした財団派遣では行き先を指定することもできるようですが、文部科学省派遣だと合格したときに初めて派遣先がわかるシステムになっています。

とはいえ、結果的に私はシンガポールで良かったと思っています。シンガポールは英語・中国語・タミル語・マレー語が混ざった環境にあるんですよね。公用語は英語なのですが、スタッフの話している言葉がわからず「今の単語のつづりは何?」と聞くと実はマレー語が混ざっていることも。英語にも「シングリッシュ」という言葉があるくらい強い訛りがあるので、英語ができれば完璧にコミュニケーションがとれるというわけではなくって。

でもそんな環境だからこそ楽しいし、派遣先がシンガポールで良かったなと思う理由のひとつにもなっています。単純に言語自体に興味があって、カフェに行って「周りの人は何をどんな言葉で話しているんだろう」と耳をすませていることもあります。笑
本当にいろんな言葉が混じっていているから、そこにいるだけで楽しいですよ。私は「言葉」自体が好きなんだなとこの国に来て改めてわかりました。

それに、いろんな人種や考え方がある国だからこそ、お互いを認め合おうとする環境が自然とあるような気がしています。英語が上手じゃなくても、街の人や現地のスタッフが身振り手振りや表情で一生懸命伝えてくれる。そういう場に立ち会うたび、口からでるものだけが言葉じゃないんだなって実感しますね。

ー歴史や人種など、多くの背景がある国なんですね。田端さんはもともと英語を学んでいましたが、英語の上手い下手は関係ないのでしょうか

大学時代の恩師から「流暢な英語でヘイトスピーチをする子を育てるな」と言われたのがずっと心に残っていて、英語が上手じゃなくても、発音が下手でも、その言葉の先にいる相手のことを大事にできる子を育てて欲しいという意味ですが、本当にそうだなと感じるんです。

シンガポールにきて、初めて自分が「外国人」であるという体験をしているんですよね。
今まで京都に住んでいたこともあって、外で観光客を見かけて「あ、外国人だ」なんて思うことも多かったのですが、今は逆の立場。言葉がわからないときは、表情とかイラストとか視覚的な情報がすごく大切だということも実感としてわかってきました。

自分が英語を話せるから気付かなかったけど、今まで日本で教えていたときの私はこんなに表情豊かじゃなかったなとか、あの伝え方は初めて英語に触れる子どもに対して優しくなかったなとか、反省することもたくさんあります。
だからこそ日本に帰ったときには、この経験を児童に還元したいという気持ちが強いです。英語の上手い下手やテストの点数よりも、人に対する思いやりが大事なんだよと伝えたい。

あと日本人学校という特性上、転校が多かったり、海外を飛び回っている子や初めての海外赴任の子がいたりなど教室にいる子どもの背景もさまざまなのですが、だからこそクラスの子の順応力がすごく高いなと思います。
自分とルーツの違う子を遠巻きにするのではなく、「違って何が悪いの?」という思想が根本にあるんですよね。「受け入れる」ってこういうことなのかと児童から学ぶことも多いです。このことも日本に帰ってから伝えたいことのひとつかな。

「人が人を育てる」魅力。田端さんがインプットをする原動力とは

シンガポール伝統の柄に、刺繍の先生と相談して京都の形も入れ込んだ(オレンジ部分)

ー日本人学校ならではの学びも多そうです。休日はどのようなことをしていますか?

この前の休みは戦争博物館のツアーに参加しました。特に歴史についてはシンガポールに来て意識が変わりましたね。今まで子どもに歴史を教えるときはさらっと教科書を読んでいましたが、一文で終わることでもその影にはたくさんの犠牲があったことや、書かれてすらない事実があるということも学びました。
日本も加害者側にいることは、日本人として知っておかないといけないなと痛感します。

他には、個人的に中国語と料理、プラナカンビーズ刺繍の教室に通っています。あとはホーカーと呼ばれる屋台のシンガポールチキンライスを全部食べたいなとか。シンガポールは屋台文化で、ホーカーは無数にあるのでおそらく無理ですが。笑

ー多趣味!日本にいるときも、富士山の頂上にある郵便局や佐賀県の吉野ヶ里遺跡から暑中見舞いを出すなど、いつでも児童が楽しめることをたくさんやっていたイメージがあります。

そういうのは完全に私が好きでやってますね。笑

もちろん、自分の経験を子どもに還元したいからというのもあります。子どもって面白いことに、授業よりも先生の失敗談の方をよく聞いてくれるんですよ。
「先生は英語ができると思ってたけど、シンガポールでは全然通用しなかったよ。結局絵を描いて教えてもらったんだよ」なんて経験を混ぜて話した方が、大笑いして聞くけどちゃんと覚えてくれる。
なんでそんなに笑うの?って教え子に聞いてみると「大人とか先生って失敗したことなさそうだから」って言われました。ああ、そう見えてたんやと思って。

学校で学ぶ基礎知識や計算とかは、教科書やインターネットで自分で調べて身につけることもできるじゃないですか。そこに「先生」という立場が介入する意味を考えたら、やっぱり人間としての引き出しが重要になってくる。私としては自慢話とか武勇伝よりも、辛い経験をしたからこそこういうことができたよって話せる、経験談の多い先生になりたいなと思っています。

ーじゃあ、今も児童に話せる経験をたくさん積んでいる最中なんですね

そうですね。昔から「ここじゃないとできないこと」を意識してやるようにしています。アルバイトひとつとっても、学生時代は塾講師とか家庭教師とか教育関係が多くなったけど、上京するならせっかくやしディズニーでホスピタリティをがっつり学びたいなとか。
シンガポールにいる期間は決まっているので、終わったあとに「あ〜これやっておけば良かった!」「あれを言いたかった!」と思わないように、中国語を学んだり休日もできるだけ外出したり、インプットをたくさんしている感じです。

ーシンガポールでの経験は、日本の学校の児童へどのようにして伝えたいと思っていますか?

「英語が通じない中で頑張ったコミュニケーションの経験」や「歴史の教科書には書かれてないけど、実際にあったこと」だけではなく、習い事や食べ歩きで見つけたちょっとしたものも機会があればどんどん伝えていきたいですね。
どこで何が役に立つかわからないけど、点をたくさん持っておくことでいつか児童に線で繋げて話すことができるかもしれないし。この任期のうちに「あ、そういえばあれやったことあるわ」をいっぱい作っておきたいです。
実際に海外に行ったことがない子も、私がシンガポールの話をすることで「ああ、こんな国があるんだな」と身近に感じてくれると嬉しいですね。

受け持ったご縁を大切に。教え子に渡すチケット

実際に児童に渡したスペシャルチケット

ー将来の目標はありますか?

目標…一番近いのはシンガポールでの経験を日本に戻って還元することですね。あと、小さな将来の楽しみはあります。

6年生の担任になったときには、いつも卒業のときに「成人お祝いチケット」を渡しているんです。使用期限は成人してから1年で、チケットを私に見せてくれたらドリンク1杯おごりますよ、一緒に食事しましょうね。っていう内容のもの。コロナで修学旅行が実施できなかった年には、修学旅行で回るはずだったルートを1泊2日で一緒に回りましょうっていう「修学旅行やり直し券」も一緒に渡しました。

シンガポールで受け持った子には、この学期終わりに何を渡そうか今考えているところなのですが「京都1日案内券」にしようかなって思ってます。日本人学校にいる子は日本や海外、いろんなところから集まっているし、私は出身も京都で、これからもずっと京都にいるので。

ー昔の教え子といつかチケットを使って会うのが楽しみなんですね

そうですね。もちろん私が会いたい!っていうのもあるんですけど、別におごるのは飲み物じゃなくても、チケットの使用期限が切れてても、京都案内じゃなくて東京でもいいんです。笑 もちろんチケット自体を持ってなくてもOK。
将来に向けてチケットっていう形を残しておくことで「ああ、昔こんな先生がいたな」って思い出してもらえるときがくるかもしれないじゃないですか。やっぱり人生のうちの短い期間でも、ご縁があったから担任をしているわけで、それを大切にしたい。

卒業して大人になってから、何か困ったことや誰かに相談したいということが起きたときに、たぶん家族とか友人とかいろんな人が思いつくと思うんですけど、そのリストの一番下に昔の担任の先生がいてもいいなと思って、そういうときに思い出してもらえる存在でありたいと思ってます。
今は北海道や昔住んでいた東京、次は別の国に行く子までいろんな子たちにチケットを配れる環境にいるし、私の教え子が世界中にいることを想像すると楽しいですね。それが今の環境ならではの喜びや楽しみかな。

ーいいなあ、日本に戻ったらぜひ私とも会ってください!今日はありがとうございました。

筆者後記

京都出身の田端さん。インタビュー中も飾り気のない自然な京都弁で、笑顔を絶やさず話してくれました。

そこが東京でも、京都でも、シンガポールでも。自分が今いる場所でできることをたくさん吸収し、目の前にいる子どもたちへ「自分」を通して経験を伝えていきたい。特定の場所にとらわれず、人としての引き出しを増やし続ける彼女は魅力いっぱいで、話しているだけで自然と元気がでてきます。
グローバル教育が叫ばれる中、多種多様な言葉が行き交うシンガポールという環境で働いているからこそ、それぞれの背景を尊重するという考えがこれからの時代を作る子どもたちに根付いていくはずです。

田端さんは筆者の大学時代の友人なのですが、同い年であることも忘れ、教室で田端先生のいろんな授業を聞きたいな、私もお祝いチケットがほしいな…なんて、とにかく子どもたちがうらやましくなってしまうような時間でした。ありがとうございました。

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